ご由緒

駒宮神社

0987-23-8520

〒887-0033 宮崎県日南市平山1095

ご由緒

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神武天皇の幼少時の少宮趾

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当社は初代天皇 神武天皇の幼少時の少宮趾として伝えられ、「駒宮大明神縁起」によると、弘治2年(1556年)6月には駒宮領二町、足洗田一町を御供田として有していた。

往古は相当な大社であり、神宮寺という寺跡があり、神社の別当寺だったかもしれないが、安政元年の広渡川の氾濫で水没、また入田原に大馬場があって流鏑馬神事で賑わったという。

鵜戸神宮の縁起に関して「駒宮アリ。神武天皇ガ船釣リヲサレシ折、龍神カラ賜ッタ龍石(たついし)」トイフ龍馬ヲ祀ル。

天皇御幼少ノ時、吾平山(境内地)ニ住ミ給ヒケルガ、折々鵜戸の父君ノモトニ通ヒ給ヒシ時ノ『駒繁ノ松』(船繁の松)、草覆石、駒形石ナドノ古蹟ガアル。」という。

(日向国神祇史料)

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日向シャンシャン馬発祥の地

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また天皇が吾平山をあとに宮崎に向かわれる時、愛馬 龍石を草原に放たれたという『立石(たていし)』(当神社より約4キロ北上、鵜戸方面)は、その後日本最古の牧場となり、藩政時代には牧奉行が置かれ、その駒追には必ず優秀な代表の馬を引き下し駒宮に参る風習から、例祭には近郷近在から着飾った多くの農耕馬が集まり賑わいを極め、『シャンシャン馬』もこれに始まり、シャンシャン馬踊りも農家の手により奉納されたという。

棟札によると元録の斎行は正保年間の炎上によるもので、その後宝永3年(1706年)11月に拝殿、宝歴13年(1763年)9月に造営が行われ、伊東藩からは神領三石のほか領主参拝の都度、銀二両が奉納されている。

明治維新に際し平山神社となったが、のちに駒宮神社と改められた。
明治40年2月に神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。

昭和9年の神武天皇御東遷2600年には少宮趾として全国奉賛会から顕彰され、本殿の修理と境内を拡張整備した。同15年の紀元2600年祭には、県奉祝会の顕彰と地元氏子崇敬者の浄財で本殿の修理をはじめ、祝詞殿、拝殿などの大改修を行い、壮厳さを加え現在に至る。

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ひむか神話街道

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宮崎は「神話と伝説のふるさと」と呼ばれるほど、数多くの伝説や言い伝えが残されております。

ひむか神話街道五十の物語集では、沿線に語り継がれる神話や伝説、そしてそれらに深い関わりのある地を紹介しています。

当神社に纏わるお話も掲載されております。

興味のある方はぜひ「ひむか神話街道」の公式ホームページをご覧ください。

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